読書履歴:ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? / ダニエル・カーネマン

ファスト&スロー(上)

2016年7月20日読了。

内容・感想まとめ

著者のダニエル・カーネマンは、不確実な状況下における意思決定モデル「プロスペクト理論」などを経済学に統合したことで業績を評価され、心理学者でありながら、ノーベル経済学賞を受賞した異色の経歴の持ち主。

本書は、人が意思決定を行う際、Fastな思考とSlowな思考の二つの思考システムを使って判断を下している、という認知心理学の研究を一般向けにかみ砕いて書かれた本。

特に、Fastな思考=システム1がいかに人の判断を誤らせるか、いわゆるバイアスや錯誤、ヒューリスティックといった認識のエラーが発生する原因を様々な事例などを用いて解説。著者の意図どおり、「システム1」「システム2」という思考回路の働きが実在するキャラクターかのように擬人化されて表現されており、難解な話ではあるも、読み物として好奇心が掻き立てられる。

仕事をしていてたまに耳にする「もっと考えてから話せ」とか「考えが浅い」とか言うようなことは全て「システム1」の誤作動か、「システム2」への切換えがうまくいっていないか、のどちらかのでは、なんてことを考えながら読むと楽しい。

マーカー引いた所(引用・抜粋)

脳の中の二つのシステムをシステム1、システム2と呼ぶことにしたい。 「システム1」は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また、自分の方からコントロールしている感覚は一切ない。 「システム2」は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの主観的経験と関連付けられることが多い。
システム1は何の努力もせずに印象や感覚を生み出し、この印象や感覚が、システム2の形成する明確な意見や計画的な選択の重要な材料となる。システム1の自動運転が生み出すアイデアのパターンは驚くほど複雑だ。だが、一連の段階を踏み順序だてて考えを練り上げられるのは、スピードの遅いシステム2だけである。システム2は、システム1の自由奔放な衝動や思想を支配したり退けたりすることもできる。
私たちの大半は、ほとんどの時間、一貫した一つの繋がりの思考を維持するにも、たまさかの複雑な思考に取り組むにも、セルフコントロールを必要とする。系統的な調査をしたわけではないが、タスクを頻繁に切り替えたり、知的作業をスピードアップしたりするのは本質的に不快なことであり、人間は可能であればそれを避けるのではないかと思う。
実験で繰り返し確認されたのは、強い意志やセルフコントロールの努力を続けるのは疲れるということである。何かを無理やり頑張ってこなした後で、次の難題が降りかかってきたとき、あなたはセルフコントロールをしたくなくなるか、うまくできなくなる。この現象は、「自我消耗」と名付けられている。代表的な実験では、感情的な反応を抑えるよう指示した上で被験者に感動的な映画を見せると、その後は身体的耐久力のテストで成績が悪くなった。実験の前半で感情を抑える努力をしたために、筋収縮を保つ苦痛に耐える力が減ってしまったわけだ。このように、自我消耗を起こした人は、「もうギブアップしたい」という衝動にいつもより早く駆り立てられる。
自分を信頼できる知的な人物だと考えてもらいたいなら、簡単な言葉で間に合うときに難解な言葉を使ってはいけない。(中略)ありふれた考えをもったいぶった言葉で表現すると、知性が乏しく信ぴょう性が低いとみなされる。文章をシンプルにしたうえで、覚えやすくするとなおよい。できるなら、韻文にすることがお勧めだ。そのほうが真実と受け取られやすい。
「自分のみたものがすべてだ」となれば、つじつまは合わせやすく、認知も容易になる。そうなれば、私たちはそのストーリーを真実と受け止めやすい。速い思考ができるのも、複雑な世界の中で部分的な情報に意味づけできるのも、このためである。たいていは、私たちがこしらえる整合的なストーリーは現実にかなり近く、これに頼ってもまずまず妥当な行動をとることができる。だがその一方で、判断と選択に影響をおよぼすバイアスはきわめて多種多様であり、「見たものがすべて」という習性がその要因となっていることは、言っておかなければならない。
人間の行動について驚くべき統計的事実を知った人は、友人に話して回る程度には感銘を受けるかもしれないが、自分の世界観がそれで変わるわけではない。だが、心理学を学んだかどうかの真のテストとなるのは、単に新たな知識が増えたかどうかではなくて、遭遇する状況の見方や認識の仕方が変わったかどうかである。私たちは、統計を考えるときと個別の事例を考えるときとで、向き合い方が大きく異なる。因果的解釈を促す統計結果は、そうでないデータよりも、私たちの思考に強い影響をおよぼす。だが説得力の高い原因を暗示するような統計結果であっても、長年の信念を変えるには至らない。その一方で、驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与え、心理学を教えるうえで効果的な手段となりうる。なぜなら信念との不一致は必ず解決され、一つのストーリーとして根付くからだ。人間一般に関する驚くべき事実を知るよりも、自分自身の行動の中に驚きを発見することによって、あなたは多くを学ぶことができるだろう。
実際にことが起きてから、それに合わせて過去の自分の考えを修正する傾向は、強力な認知的錯覚を生む。後知恵バイアスは、意思決定者の評価に致命的な影響を与える。評価をする側は、決定にいたるまでのプロセスが適切だったかどうかではなく、結果がよかったか悪かったかで決定の質を判断することになるからだ。(中略)「結果バイアス」が入り込むと、意思決定を適切に評価すること、すなわち決定を下した時点でそれは妥当だったのか、という視点から評価することはほとんど不可能になってしまう。
ハロー効果はきわめて強力なため、同じ人間の同じ行動であっても、物事がうまくいっているときに「凡庸だ」と酷評したり、まずくなったときに「それでも優秀だ」と評価したりすることに、抵抗を感じるようになる。しかもハロー効果が作用するとき、私たちはそこに因果関係を感じるようになる。しかもハロー効果が作用するとき、私たちはそこに因果関係を見つけようとする。
スキルの錯覚は単に個人の問題ではなく、業界の文化に深く根を下ろしている。業界の大前提に疑義を呈し、ひいてはそこで働く人たちの生計の手段や自尊心を脅かすような事実は、けっして受け付けられない。脳が消化できないのである。とりわけ能力や実績の統計結果はそうだ。統計から導かれる基準率情報は、個人の経験に基づく印象に反する場合、あっさり無視される運命にある。