読書履歴:経営者の条件 / P.F.ドラッカー

経営者の条件

2016年7月5日読了。

内容・感想まとめ

知識労働者が成果をあげるための考え方、方法論について簡潔にまとめられた名著。原題は"The Effective Executive"で訳すなら『成果をあげる執行責任者』といったところ。

組織とはイノベーションを実現し、成果をあげるという目的の元に出来上がった仕組みであり、そこに属する知識労働者は全て成果をあげるべく行動することが求められる、すなわち”エグゼクティブ”であるとする。文中各所で述べられているように、経営者やいわゆる"エグゼクティブ"を対象としたものでは無い。

初版は1966年と半世紀前に書かれた本ではあるが、全く古さを感じない。経営者はもとより、組織に属して働くすべての人が読むべき本。特に、組織の中で成果を出せずにいる、あるいは成果を出すことを諦めてしまっている人にオススメ。

マーカー引いた所(引用・抜粋)

成果をあげるには、近頃の意味でのリーダーである必要はない。(中略)彼らが成果をあげたのは八つのことを習慣化していたからだった。 (1)なされるべきことを考える (2)組織のことを考える (3)アクションプランをつくる (4)意思決定を行う (5)コミュニケーションを行う (6)機会に焦点をあてる (7)会議の生産性をあげる (8)「私は」ではなく「われわれは」を考える 彼らは、これら八つのうち最初の二つによって知るべきことを知った。次の五つによって成果を上げた。残りの一つによって組織内の全員に責任感をもたらした。
なされるべきことはほとんど常に複数である。しかし成果をあげるには手を広げすぎてはならない。一つのことに集中する必要がある。成果をあげるには、自らが得意とするものに集中しなければならない。
成果をあげるために身に付けるべき第二の習慣、第一のものに劣らず大切な習慣が、組織にとってよいことは何かを考えることである。
エグゼクティブとは行動する者であり、物事をなす者である。エグゼクティブにとっては、いかなる知識といえども行動に転化しないかぎり無用の存在である。(中略)アクションプランなくしては、すべてが成り行き任せとなる。途中でアクションプランをチェックすることなくしては、成り行きの中で意味のあるものとないものとを見分けることすらできなくなる。
意思決定が意思決定たるためには、次の四つのことを決めなければならない。 (1)実行の責任者 (2)日程 (3)影響を受けるがゆえに決定の内容を知らされ、理解し、納得すべき人 (4)影響を受けなくとも決定の内容を知らされるべき人 意思決定はすべてそれを行うときと同じ慎重さで、定期的に見直されなければならない(中略)意思決定の定期的な見直しは、自らの弱み、特にからっきし苦手とするものも明らかにする。そのような分野では何もしてはならない。人に任せるべきである。
成果をあげるには、アクションプランを理解してもらい、情報ニーズを理解してもらわなければならない。特にアクションプランについては、上司、部下、同僚に示し、意見を聞いておかなければならない。同時に、自分がいかなる情報を必要としているかという情報ニーズについても理解してもらわなければならない。
問題ではなく、機会に焦点を合わせることが必要である。問題の処理では、いかにそれが重大なものであろうとも、成果がもたらされるわけではない。損害を防ぐだけである。成果は機会から生まれる。まず何よりも、変化を脅威ではなく機会としてとらえなければならない。組織の内と外に変化を見つけ、機会として使えるかどうかを考えなければならない。
会議の生産性をあげるには、事前に目的を明らかにすることが必要である。目的が違えばそのための準備もその後の成果も違うはずだからである。
もう一つ身に付けるべき習慣が、「私は」とはいわずに、「われわれは」と考え、「われわれは」ということである。最終責任は自らにあることをしらなければならない。最終責任とは、誰とも分担できず、誰にも移譲出来ないものである。トップが権威をもちうるのは、自らのニーズと機会ではなく、組織のニーズと機会を考えるからである。
自らの知識あるいは地位のゆえに組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。(中略)知識労働者意思決定をしなければならない。命令に従って行動すればよいというわけにはいかない。自らの貢献について責任を負わなければならない。自らが責任を負うものについては、自らの知識によってほかの誰より適切に意思決定をしなければならない。時には、せっかくの意思決定が認められないことがあるかもしれない。降格されたり、解雇されたりすることがあるかもしれない。だがその仕事をしているかぎり、目標や基準や貢献は自らの手の中にある。
知識労働者として自らの組織の業績に貢献すべく行動し、意思決定を行う責任をもつあらゆる人達のために書かれたものである
仕事ぶりの向上は、万能な者をリクルートしたり要求水準をあげたりすることによって図れるものではない。それは人間の能力の飛躍ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。
成果をあげることは一つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は習得することができる。それは単純である。しかし身に付けるには努力を要する。 成果をあげるために身につけておくべき習慣的な能力は五つある。 (1)何に自分の時間がとられているかを知ること、残されたわずかな時間を体系的に管理すること (2)外の世界に対する貢献に焦点を合わせること。「期待されている成果は何か」からスタートすること (3)強みを基盤にすること。弱みを基盤にしてはならない。すなわちできないことからスタートしてはならない (4)優れた仕事が際立った成果をあげる領域に力を集中することである。最初に行なうべきことをおこなうことである。二番手に回したことは全く行ってはならない。 (5)成果をあげるよう意思決定を行うことである。必要なものはごくわずかの基本的な意思決定である。あれこれの戦術ではなく一つの正しい戦略である。
成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。 成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは最も欠乏した資源である。それが時間である。
成果をあげるエグゼクティブは、部下が上司たる自分を喜ばせるためなどではなく、仕事をするために給料を払われていることを認識している。(中略)人に成果をあげさせるには、「自分とうまくいっているか」を考えてはならない。「いかなる貢献ができるか」を問わなければならない。「何ができないか」を考えてもならない。「何を非常によくできるか」を考えなければならない。
成果をあげるエグゼクティブも自らに対する制約条件は気にしている。しかし彼らは、してよいことで、かつ、する値打ちのあることを簡単に探してしまう。させてもらえないことに不満を言う代わりに、してよいことを次から次へと行う。その結果、同僚たちには重くのしかかっている制約が彼らの場合は消えてしまう。「何もさせてくれない」という言葉は、惰性のままに動くための言い訳ではないかと疑わなければならない。もちろん、誰もが何らかの厳しい制約の中にいる。しかし、たとえ実際には何らかの成約があったとしても、することのできる適切かつ意味のある事はあるはずである。成果をあげるエグゼクティブはそれらのものを探す。まず初めに「何ができるか」という質問からスタートするならば、ほとんどの場合、手持ちの時間や資源では処理できないほど、多くのことがあることを知るはずである。
決定のプロセスで最も時間がかかるのは、決定そのものではなく決定を実施に移す段階である。決定は実務レベルに下さないかぎり決定とはいえず、よき意図にすぎない。(中略)決定の実行が具体的な手順として誰か特定の人の仕事と責任になるまでは、いかなる決定も行なわれていないに等しい。それまでは意図があるだけである。

読書履歴:プロフェッショナルマネジャー / ハロルド・ジェニーン

プロフェッショナルマネージャー

2016年6月30日読了。

内容・感想まとめ

副題に『58期連続増益の男』とあり、中間管理職的な”マネージャー”による、マネジメントやチームビルディングに関する本だと思って読んだら全くそんなことは無かった。要注意。

350社からなる一大コングロマリット・ITT社を創り上げた著者ハロルド・ジェニーン氏が、自身の経営に対する考えや経営者としての心構えを全14章・300ページ以上にわたって紹介。ありきたりな経営者による立身出世伝でもなければ、マネジメントに関するハウツー本でもない。経営学の様なロジックは全くないが、実績を伴った人による、言いようのない熱量と説得力を持った内容。

自分は経営者じゃないし、どうしたら良いか答えが欲しい、みたいなスタンスの人にはオススメ出来ない。それこそ、解説を書いているユニクロ・柳井社長のような、プロの経営者として圧倒的に突き抜けた実力をつけたい、実績をつくって世に名を残したい、そういう人が心の支えにするような本だと感じた。

マーカー引いた所(引用・抜粋)

ビジネスは科学ではない(中略)人生と同様に、どんなチェックリストにも方式にも完全にはおさめきれない、活力にあふれた流動的なものだ
本を読むときは、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。
現実的な確固とした目的を定めること、あるいは終わりから始めることのすばらしい点は、それ自体が、その目的に達するためになすべきことを示してくれ始めるところにある。
経験とはなにか新しいことを発見し、学び、能力の成長と蓄積をもたらすプロセスである。(中略)職業的経歴においてある点を越えると、金銭的報酬はさして重要ではない(中略)そこまでいくと、ひとはもう一度、仕事が与えてくれる経験へと立ち戻る。自己の気概を試す挑戦でもあり快事でもあり、楽しみでも誇りでもあるものへ、そして骨身を惜しまない勉励のみが提供できる自己達成の感覚へ回帰するのである。
危機や破局は一夜にして生ずるものではない。それは問題が長いあいだ隠ぺいされ、症状が悪化するままに放置されてきた結果である。
会社が最高経営者によって定められたゴールに向かって突進する一つのチームとして行動するように、組織図に含まれるすべての人々を、共同一致して機能させ、何よりも肝要な、緊密な人間関係によって結束させた時に、初めて真の経営は始まる。
私の関心があるのは、責任者を譴責することではなくて、当面の問題を解決することだ(中略)われわれは問題の関係者に審判をくだすことより、問題を解決し、非能率をなくすことに関心があるのだということを、彼らは悟った。
間違いをしたり、たまに過失を犯したりするのは恥でも不真面目でもないと私は本気で言っている(中略)重要なのは自己の過失に立ち向かい、それらを吟味し、それから学び、自己のなすべきことをするのだ。唯一の本当の間違いは、間違いを犯すことを恐れることである。
事実を客観的に眺めることは、経営成功を収める最も重要な条件のひとつだ。人々が意思決定を謝るのは、その決定が、入手した事実についての不適切な知識に基づいたものである場合が最も多い。
われわれが吟味した”事実”の中には、つぎの様なものがあった。「表面的な事実(一見事実と見える事柄)」「仮定的な事実(事実とみなされている事柄)」「報告された事実(事実として報告されたこと)」「希望的事実(願わくば事実で合って欲しい事柄)」(中略)たいていの場合、これらはぜんぜん事実ではない。(中略)”事実ではない事実”のために、マネジメント全体の物事や意思決定の流れが間違った方向に向けられて、計り知れぬ金と時間と士気のロスをもたらす危険性がある
経営者は経営しなくてはならぬ! ”経営(する)”とはなにかをなし遂げること、マネジャーである個人なりマネジャーのチームなりが、努力するに値することとしてやり始めたことをやり遂げることだ。”しなくてはならぬ”とは、それをやり遂げなくてはならぬということだ。(中略)もしその結果を達成することができなければ、その人は経営者ではない。
経営の効験を測定するのは主観的な行為ではない。それは四半期または年度の終わりに、損益計算書によって測定される。その数字を見れば何が起こったか一目瞭然である。つまり、マネジメントは目標を達成したか、しなかったかのどちらかだ。
マネージャーは個々人が提出する”事実”を受取り、それらから偏見(自分の偏見も含む)をはぎ取り、物事の真の姿を見極めなければならない。(中略)企業のヒエラルキーの中で、低い地位にあればあるほど、自分の行動のよりどころとなる事実を確かめるのに多くの時間をかけることができるにも関わらず、なかなかそうしない。そして逆に、地位が高まり、大きな責任を託されるようになればなるほど、事実をゆっくりちぇっくしている時間がなくなるにもかかわらず、そうすることはますます重要になる。
どれほど論理的で理屈にかなっていようと、決定的にテストされるのは”説明”ではない。テストされるのは、きみがマネジャーとしてやれる限りのことをやり尽くさずに、不満な結果を満足なものとして受け入れるかどうかだ。(中略)あるマネジャーと別のマネジャーとの重要な違いは、そのおのおのがどんな基準を定め、満足すべき経営というものについてみずから定めた条件を満たすためにどれだけのことをするかということだ。
あらゆる最高経営者の第一の義務は会社の目標を定めることである。ゴールポストの方向を人々に示し、どういうふうにしてそこへ達するか指示するのは彼の責任である。
真実こそ良い経営の核心をなすものである。経営決定は事実の正直な検討に基づいてなされなくてはならず、地位の上下関係や脅迫や相互依存や友情その他を通じて他人の力を借りた一個の人間によって動かされるべきものでは無い。
私は誰かの能力をけなしたり、脅かしたりしたことは一度もない。皮肉や個人攻撃はいかなるレベルでも慎むべきものとされた。論理的、啓発的な批判より、利口ぶった皮肉な言葉が、想像力に富む良い考えの芽を摘み取ってしまうことが多い。
きみの思い通りにやるなら、日夜よく研究して、自分が何をやっているかを自覚してやりたまえ。決して闇雲に何かをやったりしないように。きみが困った立場になるのは、きみが状況に関する事実を充分に探究しなかったために物事がおかしくなったのだとわかった時だ。
最高経営者として人々を鼓舞する最良の道は、行為と日常の態度によって、自分が心から彼らを支持していることをわからせることである。(中略)それがつまり、みんなが危機にある時、率先してオールをつかむということだ。
真のリーダーは下の人々に、どんな理由からであれ自分に近づくことを恐れさせないように、まがいものでない門戸開放政策を維持しなくてはならない。
会社を統率する人間は、その会社の人々が本当は彼のために働いているのではないということを認識しなくてはならない。彼らは彼らと一緒に自分自身のために働いているのだ。彼らはそれぞれに自分の夢を、自己達成への要素を持っている。彼が自分のそれを満たすのを、彼らが助けてくれるのと同じくらい、彼もまた彼らが自分たちのそれを満たすのを助けてやらなくてはならない。
数字自体は何をなすべきかを教えてはくれない。それは行動へのシグナル、思考への引き金にすぎない。それは水脈のありかを指し示す占う棒に似ている。実際に水を得るためには掘らなくてはならない。企業経営において肝要なのは、そうして数字の背後で起こっていることを突き止めることだ。
数字はいわば会社の操縦装置であり、疲労のために頭がくらくらしてくるか、それともある数字はまたは数字の集合が、他の中から抜きんでて注意を要求し、そしてその要求が満たされるまでは、読んで読んで読み続けなくてはならない。

 

すべての良い会社経営の最も重要かつ本質的な要素は情緒的態度である。(中略)マネジメントは生きている力だ。それは納得できる水準に達するように、物事をやり遂げる力である。マネジメントには目的が、献身が無くてはならず、その献身は情緒的な自己投入でなくてはならぬ。それは真のマネジャーならだれでも、人格の枢要部分として組みこまれていなければならないものだ。
なすべきことをしようとする衝動の原動力となるのは、論理ではなく、深い所に内在する情緒である。自分がなぜそういうふうに行動するのか、またなぜほかの行動ではなくその行動を選択するのか、彼には説明できないかもしれない。彼がそうするのは、それが正しいことだと感じるからだ。その情緒の動きは彼と一緒に、あるいは彼の下に働く人々にも伝わる。彼のその情緒的献身は、会社の目標のみならず自分たちに対するものであることを、彼レは感じ取る。そして彼らは彼の性格の本質をなすその”情緒”に同調して、喜んで彼のリードに従う。
マネジャーが目的を達成するためには、なんとしても、正しい決定をするのに必要な情報を入手しなくてはならない。そうすれば、目的への道は一歩一歩、おのずと開けていく。どの一段を上がるにも、真の状況を把握するための正確な事実が必要だ。信頼できる情報に拠ることができれば、決定を行うことはさほど困難えはない。事実は力である。
実績は実在であり、実績のみが実在である。これがビジネスの不易の大原則だと私は思う。実績のみが、きみの自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが、きみ自身として成長する自由をきみに与えてくれる。実績こそきみの実在だ。ほかのことはどうでもいい。マネジャーとは”実績をもたらす人間”だと私が定義するのはこの理由による。

読書履歴:GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代 / アダム・グラント

GIVE&TAKE

2016年6月21日読了。

内容まとめ

「情けは人の為ならず」がビジネスにおける成功の要因となりうることを、学術的に・論理的に研究した本。

人は3つのタイプ、「ギバー」=人に惜しみなく与える人、「テイカー」=自分の利益を最優先させる人、「マッチャー」=損得のバランスをとる人、それぞれに分類できるとし、特に「テイカー」について様々な考察がまとめられている。

副題『「与える人」こそ成功する時代』がそこはかとなく啓発書のたぐいを連想させるものの、内容はいたってまじめなビジネス書・学術書。テーマの軽さと内容のギャップに苦しんで読み飽きて挫折しそうになるほど、中身はマジメ。正直、こんなテーマをよくここまでクソマジメに研究したな、と感じる程。

マーカー引いた所(引用・抜粋)

イカーは自分がほかの人より優れていて、別格の存在だと考える傾向がある。だから他人に頼りすぎると、守りが甘くなってライバルに潰されてしまうと思っている(中略)ギバーは、頼り合うことが弱さだとは考えない。それよりも、頼り会うことは強さの源であり、多くの人びとのスキルをより大きな利益のために活用する手段だと考えている。
人間は「他人がしてくれたこと」より自分が「してあげたこと」に関する情報をより多く手に入れる(中略)悪気がなくても、人は自分の貢献を過大評価し、他人の貢献を過小評価する
人は話せば話すほど、いっそうグループについて知ったと思うものなのだ
交渉上手はかなりの時間を費やして「相手側の視点」を理解しようとしていることがわかった。交渉が上手い人の発話のうち21%以上を質問が占めていたが、それに対して平均的な人は10%以下だった。(中略)相手にものを尋ね、その人と良く知り合うことで、ギバーは信頼関係を築き上げ、ニーズを知ろうとする。
ギバーにとって有利な交渉術がある。それは「アドバイスを求めること」だ。最近の調査では、自分に権威が無い場合に人に影響をおよぼすための驚くほど効果的な方法であることがわかっている。(中略)アドバイスを求めることによって、協力関係と情報の共有が促され、もめがちな交渉を、双方が得をする取引に変えた
誰かに何かを聞くということは、自分の自身のなさを伝え、弱さを見せることだ。我こそ答えがすべてわかっていると自信たっぷりに話すのではなく、ほかの人のほうが自分よりも知識があることを認めている。だから、テイカーやマッチャーは、人にものを聞くことは、自分が答えをすべてわかっているわけではないと認めたことになってしまう。自分がか弱く、依存的で、無能に見えるのではないかと恐れているのだ。(中略)自分のエゴを守ることや、確信をもって話すことにこだわらないギバーは、弱く見られようといっこうに気にしない。ギバーがアドバイスを求めるのは、純粋に他人から学びたいと思っているからだ。
アドバイスを請われると、アドバイスする側はその問題やジレンマを相手の視点から見なければならなくなる。
「何か魂胆があって心証をよくしようとしているのではないかと疑われると、利己的で、冷淡で人をいいようにあつかう、信用のできない人間だと思われる」(中略)人に助言を求めることが効果を発揮したのは、それが無意識から出た行動であるときだけだった。ギバーはテイカーやマッチャーよりも積極的に人にものを聞く。ギバーはほかの人のものの見方や意見に心から関心をもっており、聞き上手であるとみなされていた。