読書履歴:ブラック・スワン(下) 不確実性とリスクの本質 / ナシーム・ニコラス・タレブ

ブラックスワン(下)

2016年8月21日読了。

内容・感想まとめ

予測も出来ない不確実な事象「黒い白鳥」について著者の考えを述べたエッセー的本。上巻が「黒い白鳥」の概念を中心に記載されているのに対し、下巻では「黒い白鳥」の出現を予想しようとする・ないし否定しようとする、哲学や統計学といった学問とそのツールについて徹底的に批判を展開。著者も本文で書いてあるように、批判の部分は読み飛ばしてもOK。

マーカー引いた所(引用・抜粋)

私たちにとって予測は複雑すぎる。それだけでなく、私たちの手に入る道具を全部使っても複雑すぎる。黒い白鳥は捉えどころがない。予測したって無駄だ。

今ある発見はほとんど全部セレンディピティ(ふとした偶然のたまもので良い目に遭える能力)のおかげでできたものだ。「セレンディピティ」というのは、作家のヒュー・ウォルポールが、おとぎ話の『セレンディップの三人の王子』からとってつくった言葉だ。三人の王子は、「いつも偶然とか機転とかのおかげで、もともと探していたわけではないものを発見する」。

ほとんどの予想屋たちは、予測されていなかった発見で大きな変化が起こるのをまったく予測できなかった。そのうえ、発見による変化は、彼らの予測より、ずっとゆっくりしかおこっていない。新しい技術が興るとき、私たちはその重要性を深刻に過小評価するか、深刻に過大評価するかのどちらかだ。

過去にたどった道筋を未来が踏み外すなら、ありうる踏み外し方は無限大だ。これは哲学者のネルソン・グッドマンが「帰納の謎」と呼んだ問題だ。私たちがまっすぐ線を引いて予測を行うのは、私たちの頭の中にまっすぐの線があるからだ。つまり、1000日にわたって数字が一直線に大きくなって来たなら、今後も大きくなり続けるに違いないと私たちは思い込んでしまう。でも、頭の中に非線形のモデルがあるなら、同じ事実を見ても、1001日目には数字が小さくなると思うかもしれない。

私たちは過去の経験を振り返って学ぶことが出来ないということだ。私たちは物忘れがひどく、将来における自分の情緒の状態を予測するとき、過去に予測を間違った経験が活かせない。私たちは、不幸が自分の人生に影響をおよぼす時間の長さをものすごく過大評価する。

黒い白鳥のせいで、自分が予測の誤りに左右されるのがわかっており、かつ、ほとんどの「リスク測度」には欠陥があると認めるなら、とるべき戦略は、可能な限り超保守的かつ超積極的になることであり、ちょっと積極的だったりちょっと保守的だったりする戦略ではない。

お勧めの行動には一つ共通したところがある。非対称性だ。有利な結果の方が不利な結果よりもずっと大きい状態に自分を置くのである。未知なものがわかることは決してない。定義によって未知は未知だからだ。でも、そんな未知でも、自分にどんな影響を与えるかを推し量ることはできる。

結局、私たちは歴史に振り回されている。それなのに、私たちは自分で自分の行き先を決めていると思い込んでいる。私たちには何が起こっているか分からないのはなぜか、まとめておく。(a)知識に関するうぬぼれのせいで、未来を見るのに不自由だから。(b)プラトン的な型のせい。つまり、人は簡略化したものにだまされる。(c)欠陥のある推論の道具のせい